メディアが自分たちのことを語ってくれるということ
前回からの続きでありますが、
「実話」は心を閉ざしたヒトの心のドアを開けるカギになっているんですネ。
ここでボクが強調したいのは、「実話」だからヒットしたのではナイ、ということなんですヨ。
「実話」というのは、入り口のスイッチの役割でしかないのです。それも昔から使われた手法なのです。
情報が溢れてる中で、そんなの関係ない、と耳をふさいでいるユーザーに、自分に関係があるコトと認識してもらうための方便でしかないわけです。
むしろポイントは、自分たちのことを語ってくれていること、なんですよネ。
メディアに求められているのは、自分たちのことを語ってくれていること、なんですヨ。
「実話」だから受けるわけじゃない。
「ホンネ」で語ってくれるから耳を傾けるわけじゃない。
どれも表面的なスイッチの役割でしかないんです。
実際は、本当の実話じゃ楽しめないし、ホンネ過ぎても耳が痛すぎるんです。
本当に求められているのは、実話でもホンネでもないんです。
ただ、欲しいものを端的に表現できないから「実話」とか「本音」とかで表現されているに過ぎないんですヨ。
求められているのは、自分たちの今の関心が話題になったメディアなんです。それが必要なものなんです。
今回は、ケータイ小説というメディア、そして、映画というメディアが、うまく受け止めたということなんですよネ。
と、まあ、ボクはそう理解しているってハナシでありますが(笑)。
だからこそ、個々の自分たちの今の関心が話題になったメディアが、まだまだ必要だなあと思うんですよネ。
written by asotetsu Nov 27, 2007
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