恋空のヒットに見る、実話という心のドアのカギ
恋空(映画公式サイト)がヒットしていまして。
もちろん、ボクは恋空を見ていないので、予告編で、新垣結衣が頭をクシュクシュされてかわいい、というくらいしかしらないわけで、これから書く話は恋空と関係ない話なんですけど(笑)。
面白いなあと思ったのは、映画を見て感動したという若いコたちが、「こんな話が事実なんて!」と感動しているのが多くて、事実に基づく話というのがどうも重要らしい、という点なのですよ。
最初は、「いまどきの本をロクに読まないコは、事実じゃないと感動できないのか? どれだけ想像力がないんだ?」とか思ったりしました。
でも、違いますネ。
恋空の話は、フィクションと言ってもいい内容ですよネ。
感動できるのであれば、十分にフィクションに感情移入する力はあるわけです。
もう少し考えてみると、世のオジサン・オバサンと言われる世代も結構昔から、実話で泣く、というのは定番だったんですよネ。
20年位前には、「一杯のかけそば」、なんて日本中をなかせたお話がありました。
実はフィクションだったんですけど、実話として紹介されて、国会の衆院予算委員会で国会議員が一部を朗読して泣いたりとかすごかったんですよ。
ともあれ、実話パワーというのは、それが本当かは別として世代を問わず有効なんですよね。
実話で泣く、というのはたいていが次のパターンです。
自分に近い境遇 + 実話 = 感情移入 → 泣く
今の人たちというのは、ものすごく心を閉ざしているんだとボクは思います。
世の中の多くのことがありますけど、全部、俺(私)とは関係ない、と感情を出さずにドアを閉めてしまうんだと思うんですよね。
だから、自分の今と近い境遇のヒトとか、自分の昔の境遇に近いヒトを見ても感情移入を簡単にしない。私とは違うとドアをピシャリと閉めてしてしまう。
そこで感情移入させるカギが、実話、なんだと思うのです。
例えると、世の中に起きているコト、と、今の自分とをつなぐ回廊が「実話」なんです。
「実話」になると、その話は俺(私)と関係がある、となれるんです。
「実話」によって、世の中に起きているコトと自分が地続きになることで、一気に、その境遇が自分と同じもの、自分に近いものとなって、感情移入が起こり、泣く、ということに繋がるんだと思うんですよ。
「実話」は心を閉ざしたヒトの心のドアを開けるカギになっているんですネ。
ココで「そんなの関係ねえ!」というのと、「実話」って、すごく時代の空気を表してるなあとボクは個人的に思うんですヨ。
この話続きます。
written by asotetsu Nov 27, 2007
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