ニコニコ動画に見る失われた団欒の再生
前回は、Rimoは凄い、という話でした。これについてはもっと補足したいところがあるんですが、ニコニコ動画について先に書いておこうかな、と。
ニコニコ動画は、ニワンゴがリリースしたサービスで、動画に対してスーパーインポーズする形でテキストで皆でコメント入れて楽しめるサービスですね。ご存知の通り。
Rimoとニコニコ動画は目指してる方向が全然違います。ターゲットが違うんです。Rimoはテレビ人種向け。クリック無用なソリューションなわけです。それに対して、ニコニコ動画はコアなインタラクティブ人種向け。マニア受けなイベントですから。ターゲットが違うんです。
ニコニコ動画は、良く出来ているサービスです。
ですがそれゆえに2chが抱える閉塞を見事に表しているんです。
というのも、
ニコニコ動画は極めて2ch的
ニコニコ動画の面白さって、動画固有のものじゃないって分かります?
別にあの素材が動画じゃなくてもいいんです。スレでも構わない。
あの面白さは、2chのスレが消費されていく祭りの感覚なんですよ。
あるスレッドが盛り上がって、書き込みがどんどん進んでいく感じ。それが見事に再現されているんです。
スレが盛り上がる祭りの再現としてのニコニコ動画なんです。
ニコニコ動画は時間を越える
ニコニコ動画が凄いところは、このスレ進行の祭りを時間差でも参加できるようにしたところです。
スレ進行の祭りはそのときに参加しないと楽しめなかったわけです。これをニコニコ動画は時間を越えたんです。
要は、2chはライブ感がウリの生ものだったわけです。
ゆえにユーザが2chに常駐しているコアユーザーに限られてきているといえるわけです。
2chは特有のライブ感とそれゆえの参加できるユーザの限定があったわけです。
ニコニコ動画はライブ感が時間を越えて楽しめる
それが、ニコニコ動画では時間を越えることができるようにしたんですね。
これは、2chのスレにおける祭りというライブのDVD化ですよ。このおかけで、ライブに参加できなかった仲間も楽しめるようになっただけでなく、時間差で参加できるようになったわけです。
まあ、これは後からどんどん多層的に参加することで劣化するという問題も出たわけですが。
とはいえ、ここでまとめておくと、時間を越えて参加が楽しめるようになったニコニコ動画ですが、そのスタンス、趣味性から言って、ユーザ層は極めて2chと親和性が高いコアユーザーをターゲットにしてるとしか思えないサービスなわけです。
ニコニコ動画が再生するテレビ前の団欒(だんらん)
ニコニコ動画でコメントつけたり、他人のコメント見てるのって何かに似てますよね。
そう。空間を超えたテレビ前の団欒(だんらん)なんです。
つまり、ニコニコ動画は空間も越えたんです。
ニコニコ動画は、テレビ前の団欒(だんらん)を再生したんです。
皆でひとつのテレビ見て、あーだこーだとコメントつけて笑うという団欒(だんらん)をテクノロジーで再生したんです。
じゃあ、これが昔ながらのテレビ前のメンツか? というとそうじゃない。
ここは極めて2ch的なんです。
ニコニコ動画前に集うメンツは2chユーザ層と強く重なる
これのどこが2ch的かというと、参加者は、それぞれ独りでPCに向かっているんです。
孤独なユーザーということが明確だから、逆に皆で集って面白いんですけど、これもマーケティング的にはあんまり広がりが見込めない感じがするんです。
つまり、ここでもターゲットは2chユーザにカチっとフォーカスされてしまっていて、テレビに忙しいマジョリティに最適化されているかというとそんなことはないんですよね。
つまり、まとめると、