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戦争ものアニメに見る時代固有の物語


というわけで、いつもとはあまり関係ない話題でも。戦争ものアニメに見る時代固有の物語について。

って、硬い感じですが、要はボクが勝手に読み解いただけの話でアリマス。


社内で「ぼくらの」というアニメが流行ってまして。エヴァンゲリオン以来のヒットになるかも、とか。それで、まあ、単行本とか読んだりしておりましたが、時代固有の物語があるなあと。


この手の戦争ものというのは、主人公が戦争に巻き込まれて主役となる話なので、争いの当事者になるんですよ。物語がヒットするためには、視聴者の多くが共感できる戦いのシチュエーションってのがいります。ゆえに、そのシチュエーションには時代性が強く反映されます(と思っております)。


ヒトはなかなかに戦闘的なところがあるので、自分と周りを戦争状態に仮想するのが結構アリガチな考え方です。だから戦争ものって割合と共感しやすいかな、と思うんですね。今の自分が囲まれている状況を仮想するんですね。物語の戦争のシチュエーションを思い浮かべて感情移入するんですね。


古めのところでいくと、超時空要塞マクロス。もう25周年らしいですが。

もともとのストーリーは知ってるという前提で話を進めますと、ボクから見ると、マクロスって戦後復興期のストーリーの読み替えですナ。異星人に地球は焼け野原にされて、唯一残った空母とそこにいる人々。これ日本列島で日本人ですヨ。歌うたって、窮地を救う歌手リン・ミンメイ美空ひばり。敵の巨人族ゼントラーディー軍はもちろん米国と米兵。わかりやすいですな。しかも、文明に触れて、ゼントラーディー軍は一部が味方になりますから。これが日米同盟。そして敵(共産勢力)と対峙していく、という。とてもわかりやすい日本の復興ストーリーなんですよね。ははは。


もっと前の、宇宙戦艦ヤマトも読み解けます。

ヤマトは、そのまんま戦艦大和、大日本海軍の心ですよ。アメリカに沈められた無念を見事に復活させるわけで、あの離陸シーンは子供心にスッとするものがありました。これがまた、ガミラス星人に焼け野原にされた地球を救うため、ガミラス星人と戦いながらイスカンダル放射能除去装置を取りにいくのですが、ガミラス星人はデスラー将軍が金髪で白いことから言って米国です。ところが、敵のガミラスと救世のイスカンダルは兄弟星とわかるわけですが、アメリカは日本を焼け野原にした悪であり、他方、戦後復興を助けた救いの神でもあるという、消化しきれない思いがそこに投影されております。乗組員は使命のために一途であるというあたりは古い感じの日本人ですな。使命感重視で、皆のためにがんばる高度成長期を象徴していたりします。ちなみに、波動砲一本でがんばるあたりは、豪華一点主義という貧乏から抜けきれぬ貧しさが漂っていまして、戦中のゼロ戦の旋回性能第一でほか犠牲とか、戦艦大和の不必要なまでの巨砲主義なども象徴されていたりします。

と、まあ、妄想気味ですが読み解くとこう読めなくもない、という。

宇宙戦艦ヤマトのときは、まだ、アメリカ憎しでリターンマッチしてやるという雰囲気であったのが、超時空要塞マクロスのころになると、アメリカと和解して別な敵に対して防衛していこうというような冷戦の状況に合わせて変化してるように見えます。


では、機動戦士ガンダムはどうか、と。

ガンダムは連邦を救う要にもかかわらず、パイロットのアムロは、乗る乗らないでグダグダ言うんですよ。このあたりから、地球の危機を救うために立ち上がるとか、犠牲となるとか、そういう大きな物語では括れない時代がやってくるんですね。個人主義というか。国家の危機より自分の問題、という。このあたり、まさに現代ッコの象徴であったりします。ただ、ポイントは、ここでの戦争というのは自分とはかかわりなく巻き込まれるオレ、という設定であることです。世の中の出来事は自分とかかわりなく決まり、しかしそれに巻き込まれるという重要なテーマが出てきます。全体の物語に対して個の物語の対立というテーマは現代的なために、このあと繰り返し使われるようになります。


さらに10年前のエヴァンゲリオンはどうか、と。

使徒と呼ばれる敵が襲ってきて、シンジというパイロットがこちらも戦うかどうかでグダグダ言う話で、全体の物語に対して個の物語が対立する構図はガンダムと同じです。ただ、ここから敵というのが変わってきて、敵というのが、主人公に対して接触してくる、侵食してくるのが敵なんですナ。それをATフィールド、自意識のフィールドで守る、という。つまり、社会がボクに干渉してくる、かかわってくる、という自分のテリトリーの防衛という、非常に狭い範囲の話になってきています。おそらくATフィールドは自室でしょうな。


そして、ぼくらの。

進行中なので、あまり書けないので省略気味に書きますが、こちらは、運命の可能性のひとつのような、巨大な操作がほとんど不可能に思える仕組みに組み込まれてしまっているという、無力感が漂っています。戦闘にも望まず意図せず巻き込まれる。ただ、無力に社会に組み込まれ、やらされる感が前面に出ているストーリーと思えます。

これがハマるというのは、今の状況が、そうやって自分は意図せぬまま組み込まれ、身動きとれず、準備もできずにやらされる、と思えるんだろうなあと思ったりします。


つまり、ぼくらの、がヒットするという場合、世の中は変えられないという無力感、そして、準備もできずにやらされる、という思いが結構世の中にあるっていうことじゃないかなあと思えるんですよね。これ、閉塞感の表明であって、チャレンジする気持ちとは対極なんですよ。日本は大丈夫かなあとちと思えます。



ね。結構、戦争ものアニメは時代の、自分と社会との関係の感覚をよく表していると思えるんですよ。マア、ほとんど妄想に近いですが(笑)。



written by asotetsu Dec 25, 2007

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