現実をPCの画面越しで変えようとする不毛な試み
ネットイナゴなんて存在しないよ、という話から、書き手(コンテンツプロバイダー)と読者との身近だけど越えられない壁という話になっております。そのつづき。
PCの画面は情報をくれる窓ですけど、現実に影響を与えようとしたときには、監獄の面会窓のような仕組みになっているんです。
ということを書いたわけですが。
他方、身近に感じる、というのも確かです。
この幻想は捨てがたいですネ。何しろ目の前のPCの画面で展開されているのだから。
そこで、コンテンツプロバイダー(書き手)になれないヒトが、世の中に影響を与えたいと思うときにやることは何ですかネ。
ご想像のとおり。他人のブログのコメント欄に自説をとうとうと書くんですヨ。掲示板のスレに書いたりネ。
でも、そんなことしたって、世の中は変えられないんですよ。何も作り出せないんですよ。影響力なんてゼロですよ。実際のところはネ。
ところが、ここで問題だと前から書いているのは、ブロガーとかそういうヒトが動揺して反応してしまうことなんですよネ。
ここで、書き込まれたコメントに反応してしまうと、ブログのコメント欄なんかに書き込むことを通じて世の中に影響を与えたいと思っているヒトに勘違いさせてしまうんですヨ。だから、動揺してはイカンのです。
いったん動揺するところを見せると、そういうコメント欄を通じて世の中に影響与えたいと思ってるヒトたちがあれやこれや書いて、PCの画面の向こう側をPCの画面から操作しようとしてくるんです。
新聞がネットで「炎上」なんて報じると、そういう書き込みをするヒトは大喜びなんですヨネ。
だから、火に油注いでるとボクがいうのは、そういうことです。
でも、本当は、PCの画面から、世の中なんて影響を与えられません。
身近に感じられるのは通信技術による幻想です。
PCの画面は監獄の面会窓とくらいに思ったほうがいいんです。
世の中はPCの画面の向こう側にあるんです。
世の中に影響与えようと思ったら、PCの画面の先に行かないと意味がないんです。
written by asotetsu July 3, 2007
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