Web2.0というナイスな用語の発明に乾杯
Web2.0は、マーケティングに関係している人間なら、フッ、と鼻で笑いつつ、または、言うときに、特に2.0の.(テン)のあたりで躊躇します。
要は、何にも意味していない言葉ってわかっているからなんだけど。
あ、結論から入ってしまった。
Web2.0というのはカラッポなんですナ。
まあ、こうやってブーム起こしてくれるのは皆ありがたいと思ってるし。その恩恵を受けておるわけです。
だから、関係者は、ほぼ全員で、このムーブメントを大事にしていこう、と思ってるはず。
だからボクも否定しません。いいじゃん。面白ければ。ノリで。ノリがよければ。この世はお祭りですからネ。
ただ、この用語をいじくって、俺的Web2.0論展開するのは意味がないので、それは言いたいなー、と思うわけですナ。オレ的人生論とかオレ的社会論と重ね合わせてオレ的Web2.0論をやると、かなりはずかしい。
こういう流行用語になるためには大まかに言って3つの押さえるべきポイントがあります。
- 元となる文献が1つであり、しかも短くて、分かりやすいこと。
- 定義があいまいでツッコミどころ満載であること。
- しかし内容はポジティブで時代性があること。
Web2.0の場合は、Tim O'Reillyの下の英文を読むか、その下の和訳を読めば、とりあえずなんとなく分かるわけです。なにしろ、読むべき文献が1個だけでいいんだから専門的研究がいらない。「オレでも簡単に語れそう」になるわけです(ユーザー参加性ですよ!)。しかも、短いからすぐ読める。さらには分かりやすい。加えて、内容がポジティブで時代性がある上に、定義が曖昧なんで、自分の思い入れを語るには最適なところです。
http://www.oreillynet.com/pub/a/oreilly/tim/news/2005/09/30/what-is-web-20.html
http://japan.cnet.com/column/web20/story/0,2000055933,20090039,00.htm
定義曖昧な用語をもとに議論しても不毛なんですよ。もともとがグダグダなんだから。ボクが「カラッポ」というのはそういう意味ですね。この言葉は何も意味していない。語るヒトによって意味を変えることが出来る。だから、議論対象にはならない(なりにくい)んです。いまさら定義キチっとやるほどの内容でもないし。でも、その分、専門的な研究をしていない人でも自由に語れる自由さがあるわけです。その文章から想像を広げて自分なりの語る余地がある。ツッコミどころ満載の文章ってユーザー参加性があるってことでもあるんですナ。
たぶんねー。やり始めた側は意図的にやってる。
20年前に流行ったのは「パラダイム」で、これはトマス・クーンの「科学革命の構造」を読むとなんとなく語れた。パラダイムシフト〜、と言われたアレですよ。いまだに言う人がいるんで、はずかしい。
もはや、ああいう使われ方は誤用だし不正確というのが明確だし、クーン当人がパラダイムという言葉を多義性があるということで後で引っ込めているわけで。科学論を学ぶとあんまり簡単に「パラダイム、パラダイム」といえないな、というのが分かる。いまだに言ってる人は、そういう議論を読んでない、というか、そもそもクーンの「科学革命の構造」も読んでいない。
とはいえ、これも、
- 元となる文献が1つであり、しかも短くて、分かりやすいこと。
- 定義があいまいでツッコミどころ満載であること。
- しかし内容はポジティブで時代性があること。
こういう条件を満たしていたわけですナ。
だから、上で挙げた本を読んで、門外漢までが、俺的パラダイムシフト論を展開したわけです。なんでもパラダイムシフトですよ。生産工程変更してもパラダイムシフトとかね。あえて言うとすれば、ニュートン物理学から量子物理学へ、というときくらいしか言うべきじゃないし、そもそもそれすらもその後の議論でグダグダなので、恥ずかしくてイエナイ。
ところが世間的には、カッコイイ用語だったんで、大きな変化=パラダイムシフト、みたいな感じで大流行でしたナ。
ほかにも、ビッグバン、ありましたナ。会計ビッグバン、金融ビッグバン。なんでもバンバン。これも、「大変化=ビッグバン」という法則ですナ。
法則が見えてきましたね。
大きな変化=新しい用語、なんですよ。なんか大きく変わるぞ〜と予感するとき、させるときに、ヒトは新しい言葉を求めるのですナ。それを表すぴったりの言葉を。
だから、すごーく変わるみたいな言葉が好まれたり、どかーんと爆発するような言葉が好まれたりするわけですナ。
言ってみればあれですよ。
よく例え話で出されますが、なんかこうすごくうまい食い物があって、でも名前がない。
となると、他人に伝えられないですナ。
これが、例えば、ひつまぶし、って名前があると、「ひつまぶしっていううまい食い物があってね」となる。
そうすると聞いた側も「ひつまぶしといううまい食い物があるらしい」となる。
これは、「うな丼のお茶漬け」と言ってはいかんわけです。
既存の概念(=言葉)で処理されてしまうから。概念は言葉で表されますから。
だから、まとめると、
時代に求められていた言葉を作るだけでこうやってブームを作れるんだから言葉の力はスゴイ。
Tim O'Reilly様は我らの神ですナ。我らに語る言葉をくだすったから。
余談 マイクロソフトとDoCoMoのネーミングセンス
こうなって言葉作りを見てみると、マイクロソフトのネーミングはエライ。
DOS時代は単純に数字を挙げていくバージョン式で、ウインドウズも初期はそうだったのに。Windows1.0から3.11まで進化させたあと、一気に年式型に変えました。Windows95と。
このあたりで既にバージョンアップを数年ごとにやってユーザに買い替え促進させる戦略構想を持っていたと分かりますナ。何年に出たかすぐ分かる。そうすりゃ、えー、いまだにWindows95使ってるの?何年前よ?みたいなことも言いやすいし。
ところがさらに賢いことに、技術的にかなり進んでしまい、そんな買い替え促進戦略も頭打ちになるとわかり、むしろ長く使えることを意識する必要が出たときには、XPなんてつけるんだから賢い。
マイクロソフトのブランディング担当はすげえ頭がいい。まあ、この自社に使いすぎる頭の良さというのが反感を買うところなわけですが。
さて。翻って我が日本ではどうかというと、DoCoMo2.0は語るを避けずにはいられない。
いや、どうなの、と。たぶんね。マイクロソフトのブランディング担当ほどは頭がよくない。でもアホじゃない。
使い捨てのマーケティング戦略としては悪くないですよ。
思うに、ふつーのヒトは、アレ見ても、ああそうかー、と思うだけですヨ。Web2.0のからくりを知っている側からすると恥ずかしげもなく良く使うな、と思われがちですけど。ドコモはたぶん普通のヒトをターゲットとして、ドコモは新しいよ〜と言いたかったんでしょうね。知っている連中だと、「次は3.0か、おい?」 とか思ったりしますけど、あの…、それ、たぶんやってる側は使い捨てでやってるから、半年後にはまったく別なことやってると思いマス。しかも、普通のヒトはそれすらも気にしない。はは。だから、マジメに批判するとバカ見るのは批判する側ですナ。
ともかくも、売れりゃーいいんですよ。と、デカダンスでおわったり。
written by asotetsu June 25, 2007
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